第六章
小田原オダワラハン大久保家オオクボケタテバン
大久保オオクボチュウトシ(忠茂 ナガ男) 忠次チュウジ(忠茂 男) チュウイン(忠茂 三男サンナン チュウヒサ
ただとし(1499〜1581) ただつぐ(?〜?) ただかず(1511〜1582) ただひさ(?〜?)
シン八郎ハチロウ ヒダリ衛門エモン 甚四郎ジンシロウ 弥三郎ヤサブロウ
五郎ゴロウミギ衛門エモン 次郎ジロウ タイ右衛門 三郎サブロウ右衛門
改称カイショウ 宇津ウツ
  天文テンモン十三13ネン
総称ソウショウ 大久保オオクボ   三州サンシュウ 
三木ミキジョウ コウシロイクサ
ホリにて討死ウチジニ
チュウカツ  忠政   忠吉   忠豊
ただかつ
(?〜?)
 
初代ショダイ
 
小田原オダワラ藩主 4マン5000イシ
チュウ(忠員 ナガ男 マタは オトコ チュウ(忠員 二男) 大八郎ダイハチロウ(?〜?) 戦死センシ
ただよ(1532〜1594天文テンモンモト文禄ブンロク3) ただすけ(1538〜1613天文テンモン7〜慶長ケイチョウ18) 新蔵シンゾウ(?〜?) 戦死センシ
アタラ十郎ジュウロウ七郎シチロウミギ衛門エモン 八郎ハチロウオサム右衛門、ミチ カン七郎シチロウ(?〜?) 戦死センシ
  家康イエヤスツカえ、諸所ショショタタカいに参加サンカし、とくに
大久保オオクボ忠世は大久保オオクボ忠員の長男として天文元年(1532) 元亀ゲンキ三年3ネン(1572ネン)の三方サンポウハラタタカいでは 備後ビンゴカミ
三河ミカワ上和田カミワダにてハハ三条西氏より生まれる。 殿シンガリグンをつとめた、慶長ケイチョウ六年6ネン(1601ネン)に チュウタメ(忠員 ロク男)
11サイ徳川トクガワ家康イエヤス近習キンジュウ登用トウヨウされる。 駿河沼津に加増転封となる。 (?〜?)
初陣ウイジン十五ジュウゴサイトキ家康イエヤスチチ松平マツダイラ広忠ヒロタダが三河上野城
酒井サカイ忠尚タダナオめたトキシタガった チュウナガ
ツギ弘治コウジ元年ガンネン(1555)23サイトキ蟹江カニエシロ攻撃で先鋒を (?〜?)
務めチチ忠員とオトウト忠佐とトモに蟹江七本槍と讃えられた
その永禄エイロク六年ロクネン(1563)には三河ミカワ一向イッコウ一揆イッキ上和田カミワダ チュウキョウ(忠員 男) 平助ヘイスケ
死守し次の年の1ガツにはテキられながらも土呂、    (忠トシ 六男)
針崎の一揆勢と2月の和議まで戦い通した ただたか(1560〜1639永禄エイロク3〜慶長ケイチョウ16)
その 忠雄タダオ平助ヘイスケ、彦左衛門
 
ハハ  近藤コンドウ幸正ユキマサ オンナ チュウゲン
二代2ダイ (?〜?)
ジュウシタ ショウスケ 相模サガミカミ
小田原オダワラ藩主 6マン5000イシ
チュウリン(忠世 長男)
ただちか(1553〜1628天文テンモン22〜寛永カンエイ5)
千丸、新十郎、ドウシロ
 
11サイトキ家康イエヤス近習キンジュウ登用トウヨウされる 
その三方ミカタヶ原、カナサキ姉川アネガワ一乗谷イチジョウダニ信濃シナノ、小牧長久手
連戦レンセン家康イエヤス関東カントウ入部ニュウブサイして、武蔵ムサシ羽生ハブ2万石マンゴクリョウ
関が原(上田)、大阪冬、大阪夏をへたアト1593ネン文禄ブンロクネン)に
徳川トクガワ秀忠ヒデタダ家老カロウとなる、文禄三年(1594年)41才で
父忠世の鬼籍に伴い家督を相続し、相模小田原四万石を領した
 
  播磨ハリマ明石アカシ ⇒ 肥前ヒゼン唐津カラツ ⇒ 下総シモウサ佐倉サクラ
 
美濃ミノ加納カノウ藩主ハンシュ 2万石マンゴク+4マン5センコク
チュウツネ(忠隣 長男)
ただつね(1580〜1611)
 
武蔵ムサシ騎西キサイ 2万石マンゴク
チュウショク(忠常 長男)
(1604〜1670)
三代3ダイ
従四位下 加賀守 
小田原オダワラ 10マン3000イシ+1万石
チュウアサオシタカ 男忠職 養子ヨウシ
ただとも(1632〜1712)
下総佐倉よりウツフウ 侍従⇒老中
貞享ジョウキョウ三年3ネン(1686ネン)1ガツ小田原オダワラ
ハンに復帰、
元禄ゲンロクネン(1694ネン月に1万石加増
老中ロウジュウタカラ五年5ネン元禄ゲンロク十一年11ネン
元禄十一年10ガツ隠居インキョ家督カトク老中ロウジュウショク
を忠増に譲る
四代4ダイ
老中、宝永ホウエイ二年2ネン(1705ネン)〜正徳ショウトク三年3ネン(1713ネン
小田原オダワラ 11マン3000イシ
チュウゾウ(忠朝 長男)
ただまさ(1656〜1713)
 
元禄ゲンロク十六年16ネン(1703ネン)11ガツ
元禄ゲンロク大地震ダイジシン天守テンシュカク瓦解ガカイ
寛永カンエイ元年ガンネン(1704ネン城郭ジョウカク修理シュウリ開始カイシ
 
チュウシン(忠朝 男)
 
(?〜?)
五代5ダイ
 
小田原オダワラ 11マン3000イシ
チュウホウ(忠 長男)
ただまさ(1656〜1713、7ガツ
 
宝永ホウエイ三年3ネン(1706ネン藩主ハンシュ相続ソウゾク
ドウ天守テンシュカク復興フッコウ完成カンセイ
六代6ダイ
 
小田原オダワラ 10マン3000イシ
チュウキョウ(忠 長男)
ただおき(1656〜1713)
 
正徳ショウトク三年3ネン(1713ネン藩主ハンシュ相続ソウゾク
七代7ダイ
 
小田原オダワラ 10マン3000イシ
チュウヨシ(忠  長男)
ただよし(0000〜1111)
 
享保キョウホウ十七17ネン(1732ネン藩主ハンシュ相続ソウゾク
八代8ダイ
 
小田原オダワラ 10マン3000イシ
チュウケン(忠 長男)
ただあき(0000〜1111)
 
宝暦ホウレキ十三13ネン(1763ネン藩主ハンシュ相続ソウゾク
九代9ダイ
 
小田原オダワラ 10マン3000イシ
チュウシン(忠 長男)
ただざね(0000〜1111)
 
天明テンメイネンネン(1782ネン藩主ハンシュ相続ソウゾク
天明テンメイ大地震ダイジシン天守テンシュカクカタム
天明年年(1785年)
十代10ダイ
 
小田原オダワラ 10マン3000イシ
チュウナオ(忠 長男)
ただなお(0000〜1111)
十一代11ダイ
 
小田原オダワラ 10マン3000イシ
チュウキョウ(忠 長男)
ただおき(0000〜1111)
小田原オダワラ 10マン3000イシ
チュウキョウ(忠 長男)
ただおき(0000〜1111)