ダイ3ショウ 三河ミカワ大久保家オオクボケ
 室町ムロマチ時代ジダイ大久保オオクボは宇都宮名乗ナノっていた、先祖センゾ代々ダイダイ宇都宮
(現在の栃木県烏山町付近)に土豪として近郊の土豪と争い、又は吸収
しながら勢力を伸ばしていたが、元弘元年(西暦1331年)
後醍醐天皇御謀反による鎌倉幕府打倒に伴い手勢を率いて新田義貞に
従い各地でと護良親王(北朝)旗下の北条軍と戦い鎌倉幕府を滅亡させた
その後、逆賊足利尊氏、楠木正成と戦い、武運つたなく、鎌倉攻めに
失敗し棟梁の新田義貞が戦死してしまった為、越前藤島に敗走し,義貞の弟、
脇屋義助と合流した、そして合戦を繰り返しながら美濃まで転戦したが、
脇屋義助は、その後尾張から再起を図るために四国へ向かう脇屋義助と別
れた宇都宮ウツノミヤ泰藤ヤスフジ三河ミカワ国に落ち延び、松平家(徳川家)の発祥地、
三河松平郷に近い和田郷上和田、妙国寺前に落ち着いた、その後松平氏
の勢力伸張により松平氏本家に味方し十八の松平一族(一族といっても
実動員10ニンクライからスウ百人ヒャクニンクライまであった)を滅ぼすと松平郷譜代五家
酒井イエ、榊原家、本多家、井伊家、石川イシカワ
並の扱いとなり数多くの槍働き(合戦)にて徳川幕府の礎となった。